ひっそり絵とか日記とか
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今朝方からもにゃもにゃ考えてた他愛ない事が、同じ地点に着地しそうな気がしてきたから書き散らすめも。
こないだタモさんがいいともか何かで「俺は絶対ネットみないよ!見たら仕事できなくなるもん」
って言ってたのにいたく感銘を受けた気がしますw
長いから適当に流して下さいな~
こないだタモさんがいいともか何かで「俺は絶対ネットみないよ!見たら仕事できなくなるもん」
って言ってたのにいたく感銘を受けた気がしますw
長いから適当に流して下さいな~
前にしにしにさんと話してた事で、「ウテナってもっと抽象的な心象風景だったと思ってたけど、現実が架空に追い付いてきちゃったよねw」っていうのがあって、
その時は漠然と共同幻想→ネトゲみたいに、ほんとに幻想を共有できちゃう装置が登場したことを考えていた。
最近ツイッターを見てて思ったのが
「助けを求められすぎた王子様が王子様をやめる」の部分で
有名人に無責任な「わたしのはなし」を@で本人に送りつけては「聞いてくれない」って勝手にアンチになるさまが、
あの無数の剣を突き立てられるアンシーに似てる気がすることだった。
普通に考えてディオスも壊れるよなw
で、壊れたディオスが考えた方法が「もっとひどいアンチ」の別アカを作って自分を可哀想な被害者に見せつつそっちを攻撃させる方法で
それ見たウテナがやった方法が「姫宮ー!ツイッターなんてやめて野球しようぜ!」って事なんでない?
で、話は飛ぶけど。
絵を描く人というのは、顔を出したがらないと思う。自分を切り離した所で、作品を発表したくない?私はそうだ。ボカロPなんかも同じで、基本匿名なのだ。
なぜならば、よい作品は無数の失敗や批判の上に重なって初めてできるのだ。
処女作から上手い人なんていない。処女作が上手い人は磨かれてもっと上手くなる人だからだ。
で、パクる人が出てくる。
パクる人は顔を出したがる欲望丸出しの人だ。
誰だってそうだ。作り手だって本当は「傷つかずにわたしを認めてほしい」のだ。
でも「傷つけられたら死んでしまうかもしれないからわたしを出したくない」のだ。
「傷つかないんだったら顔を出したかった」みたいな浅ましい欲があった事に気づかされるから余計に腹が立つのだ。
(当然、個人差はありですよ)
ディオスは王子様になれなかった。
なぜならば、彼は傷付いたからだ。傷つけられてなお立ち上がるもの、でないと、妬みや嫉みといった下衆な感情は圧倒できない。
下衆は、相手が血を流した時に初めて自分が加害者だと気づく。被害者のつもりでドアを叩いていた手がナイフを握っていた事に気づいて、今度は自分が制裁を受ける側に立ったと思って怯える。
だから「刺しても血を流さないもの」を探して群がるのだ。
だからこそ、王子様になるために「傷付いてないふり」をしなくちゃならなかったのだ。
オタクはブームではないのじゃないか、と思う。
こうやって不特定多数の人間が自覚のないままナイフを振り回しているのなら、その中で上にゆくためには、生身の人間では無理だから。
誰かを傷つけて制裁されないためには、血を流さないものに「わたしのきもち」を預けないとだめという所に追い込まれてるだけなんじゃないか。
初音ミクや東方は、そういうもののためのスケープゴートであり
だとしたら、私たちが本当に求めているのは、萌えなんかじゃなくて、
神なのかもしれないと思ったりするのです。
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